2011.09.26

松本由理子さん

 この方は、絵本画家いわさきちひろの息子、松本猛氏の奥様です。
でも、つい先ほど、「奥様だった」、ということを知りました。

この方は、ちひろの家に嫁いできた、つまりちひろとは血縁関係のない女性です。
たまたま大学で、ちひろの息子と出会い、半ば強引なプロポーズを受け、
ちひろの入院する病室内で、結婚式を挙げたそうです。
若い二人は、まだ大学生。
ちひろの命がもう長くはない事を見越しての、
結婚式だったのだろうと思います。

そんな由理子さんの、その後の働きは、
ちひろのファンなら、誰もがご存知だと思います。
子供4人を産み育てながら、
美術館の建設、ちひろの本の出版、執筆・・・。
それはそれは目も回るような忙しさ。
しかも、ちひろの絵についての予備知識は殆どなかったといいます。
きっと、ご自分の運命の歯車に驚いていたのは、
誰よりもご本人だったのではないか、と思います。

そんな経緯が「ちひろ美術館物語」という本に
書かれています。
何もないところからの美術館設立。
私が一番印象に残っているのは、
多忙を極めるなか第一子を身ごもり、
それを夫である猛氏に報告したときの、彼の第一声。
「女の子だったら名前は野花にしよう。母とそう決めていたんだ。」
その言葉を聞いて、この先やっていけるだろうかと不安になったといいます。

でも、由理子さんは、自分の体を酷使してまでも、
できる範囲の中で子育てを精一杯しながら、
無邪気すぎるくらいに大きな夢に突き進んでいく猛氏を支え、
自分に与えられた仕事に取り組み、努力していきます。
美術館のこと、職員のこと、子育て・・・。
次から次に起こる問題。
その様子は、読んでいる方も怒濤の波に引き込まれるそうになるくらい
目まぐるしいのです。

それでも、
夫の構想によってどんどんレールが敷かれ、
その上を、ただひたすら走って行く由理子さん。
「ちひろ美術館物語」は、確か、
そんな日々の中で育った長女の野花ちゃんが、
高校生になり、独り立ちをして、アメリカに旅発つところで終わっています。

安曇野ちひろ美術館の設立は、
その後の事になりますから、
由理子さんの多忙な毎日は、まだまだ続くことになります。

ちひろに深く愛され可愛がられて育った猛さん。
素直に純粋に、夢を持ち、自分の限りない力を信じる大器に
成長されました。
でも、そんな夫を支える妻の役目は、
並大抵のことではなかったと思います。
由理子さんあっての、ちひろといっても、
今では過言ではないと思います。

私は、先日のブログを書きながら、
この夫婦に思いを駆せ、
ようやく二人でしみじみと、人生の折り返し地点に着いて、
今までの日々を懐かしんでおられる頃なのではないかと
勝手に想像をしていました。

ところが、猛氏は、そのような並の人物ではなかったようで、
夢は、留まるところがないようです。

公式HPによると、
軌道に乗った二つのちひろ美術館については、
東京の方は由理子さんに任せ、安曇野の方は猛さん。
そしてさらには、もっと幅広い方面に進出され、
昨年は、長野県知事に立候補されたとか。

お二人が離婚されたのは、
出馬される2年前の2008年だったようです。

しかし、由理子さんは、今でもちひろ美術館の副館長。
素敵な笑顔を振りまきながら、ちひろの絵を紹介されています。

嫁いできた時は、ちひろの絵よりも、
ちひろの夫、松本善明の国会議員としての仕事の方に
興味があったといいます。

甘やかされて育った猛氏とは対象的に、
厳しく、自立した人間として育てられた由理子さんは、
ちひろの個性とは全く違った性格の女性であると思います。
猛氏と結婚していなければ、
おそらく、ちひろの絵を深く心にしみ込ませることは
なかったのではないでしょうか。

何という巡り合わせなのでしょうね。

離婚の理由はどこにも記されていませんが、
由理子さんは、きっと、
敷かれたレールの上ではなく、やっと自分の足で歩いて、
私たちにちひろの絵を語り、ちひろの事を語ってくれている
ような気がするのです。

「ちひろ美術館物語」は、実家の引越の際に処分してしまったようでした。
その後加筆された「ちひろ美術館ものがたり」が出ているようですが、
それは読んでいません。

今を生き生きと過ごされている由理子さんは、
きっと続編を出されると、
私は予測しています。
それはきっと、ちひろ美術館物語ではなく、
由理子さん自身の物語であると、私は思っています。

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