2011.12.27

愛するということ

 昔、母は私によくこう言いました。
「結婚するんだったら、この人とだったらたとえ火の中水の中、と思える人としないとあかんよ。」

これは、母の真実の気持ちだったと思います。
それくらい、私の父は無茶な人でしたから・・・。
他の部分で魅せられていたからこそ、ひどいところを我慢出来たのだと思います。

でも、私はごめんだ、と思っていました。
父みたいな男性とは絶対結婚しないと。

利己的で、いばりやで、ケチ。

年齢を増すごとにその思いは強くなっていきました。

よく私は母に言いました。
「あんなひどい事されて、どうして別れないの?
 私だったら絶対別れるわ。」

そんな私に母は、
「あんたも大人になったらわかる日がくるよ。」
と言っていました。

両親も年を取りました。
今までに、両親のケンカを何度見てきたかわかりませんが、
さすがに最近は、昔のような激しさはなくなりました。

ケンカをし、きつい言葉を投げ合いながらも、
別れることはせずに、最後まで添い遂げてきた両親から、
たくさん学ぶものはあったはずだ、と
この年齢になって思うようになりました。

人間の愚かさ、滑稽さ、優しさ、単純さ、強さ、ユーモア、
そういうものが混ざり合った、人間的な魅力。

私が今、社会の中で生きていくうえで、
この両親が身をもって教えてくれたことが、大変役立っていると思うのです。

よく、「私の尊敬する人は両親です。」と、キラキラした目で言う人がいますが、
そういう人を、幸せな人だな・・・と、羨ましいような冷めたような目で眺めてきました。

そんな簡単なものじゃない。
両親に対する私の気持ちは、そうなのです。

でも、私という人間のルーツは、間違いなく両親なのです。
私が今、幸せでいられるのは、
やはり両親のおかげなんだと思います。

私は、自分の願っていたように、
父とは全く性格の違う人と結婚しました。

母とは反対に、
この人だったら、どんな時でも私を守ってくれるだろうと
思える人と結婚をしました。

14年経った今も、その思いに揺るぎはありません。

愛されるということは、何て幸せで有り難いことなんだろう、と思います。

でも、愛されるということは、楽なことばかりではない、ということも知りました。

深い愛を受けるということは、
責任と厳しさが伴う、ということを知ったのです。

人を本当に愛し抜く、ということは、
娘時代に想像していたより、
ずっと難しいことだと、今は思っています。

そういう意味で、
私はまだまだ愛の修業中だと思うのです。
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