2013.03.29

母親

 今、かいがいしく子どもや孫の世話をやいている、
団塊世代の母親たちを見ると、思う。

私は、自分の母がいくら若くても、ここまでは頼めないなぁ、と。

保育園の送り迎え、
夕食の世話、
孫の預かり、
場合によっては公園デビューまで!

正直言って、
甘くはないか?
と思う。

団塊世代の母娘と
二代にまたがっておつき合いのある場合がある。

お母さんとは、地域の仕事で、
娘さんとは、小学校の保護者として、
一緒になる時があるのだ。

私の母より十ほど若い、
団塊世代の女性たちは今、
人生第二次働き盛りだ、と私は思う。
地域、ボランティア、家庭、
あらゆるステージで頼りにされる存在である。

肉体的にもまだ若いこの世代の女性たちは、
自信にあふれ、
生き生きと輝いている。

娘が週に一回、自分の趣味のために費やす時間は、
孫を預かり、夕飯を食べさせて、宿題をやらせ、お風呂も入れて、
車で家まで送っていく、という人がいる。

もし、私の母なら、こんなことは絶対に許さないだろう。
小さな子どもを持つ母親が、趣味のために夜、家を空けるとは何ごとか、
と言うに決まっている。

そんなことは分かっているから、
私だって、もうとうそんな気を起こすことはない。

あるいは、
仕事を持つ娘の家に、
せっせと通う人もいる。

出勤のため、朝飛び出したままになっている部屋を片づけ、
回したままになっている洗濯ものを干して、
学校から帰ってくる孫を出迎え、
宿題をみて、
夕飯を作り、
娘が帰ってきたら、自分の家に帰る。

これも又、
ご苦労様だなぁ、と思いながらも、
自分だったら、ありえないなぁ、と感じる。

その恩恵を受けるということは、
その中に必ず含まれるであろう、「干渉」というものも
受けていかねばならない。

それは、もう母から巣立って、自分の家庭を築いている私にとって、
もっとも避けたいことである。

そんなことなら仕事をやめるか、
それが無理なら
子どもには鍵を持たせ、
散らかった部屋のまま、ぞんざいな晩ご飯で済ませる方がマシだ、
と思う。

この母娘たちが、機嫌良くこういう生活を続けられている、ということは、
私自身の母娘の形態とは、違っているんだろうな、と思う。

でも驚くのは、
こんなに生活が密着していながら、
娘が意外と自分のことを、母親に話さないことである。

ある人の娘さんと一緒にPTAの仕事をしていて、
人間関係で随分悩んでいるので相談に乗ったことがある。
後でその人のお母さんと会った時、少し触れてみたら、
お母さんの方は、全く知らないのである。

また、別のケースで、
違う人の娘さんが、これまた学校の役員の仕事の中で、
とても無責任なことをして、問題になったことがある

多くの人が、満場一致で、彼女を責めた。
私も、手を挙げて、苦言を呈した。
でも彼女は、最後まで反省の色を示さなかった。

私は、親しくしている、彼女の母親を思い浮かべた。
この会合の時も、
この人は子どもを母親に預けて、来ていた。

この人は、帰って母親に、何て報告するだろう。
今度この人のお母さんと会った時、やりにくなぁ、と思った。

しかし、母親の方は、全くこのことを知らなかった。

どうやら彼女たちは、
母親に、今、自分に起こっていることを
話さないでいるらしい。

へえ〜。
私だったら、絶対話すなぁ。

社会の壁にぶつかった時、
母はいつも、私を励まし、信じ、背中を押してくれる。

こんな時こそ、私は母を必要とするのだ。

でも、こんな話、母にはしません、と
彼女たちは言う。

彼女たちは、
自立しているのか、していないのか?
よくわからなくなってくる。

母親たちは、
今、自分の娘に何が起こっているか知らないまま、
せっせと、留守中の娘の家事、育児の手伝いをしている。

要するに、便利遣いされているだけ?

申し訳ないけど、
私には、こんな風に映るのである。

先日テレビで、
あなたにとって、お母さんってどんなイメージ?というインタビューを
やっていた。

私より若い女性たちが、こぞって、
「母は偉大。」「海のように包み込んでくれる。」「母のことは越えられない。」
そんな風に言っていた。

それは素晴らしい事だけど、
もし、彼女たちが、
わがままを許してもらえて、何でもやってもらえることを、
こんな風に表現しているとしたら、
それは違っている、と思う。

そして、
憎まれてでも、
母親の愛情の深さや業を、私に示してくれている、
わが母を想うのである。

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