2013.12.28

年の暮れ

 あっという間に
年の暮れ。

やり残していることは
多数ある。

目をつぶって
年を越すか。

まだ娘だった頃、
1日変わるだけなのに
何でそんなに大騒ぎするんだろう、と
思ったことがある。

あの頃は
お正月が大嫌いだった。

両親が
年末には気が立つ質で、
ぴりぴりしたムードが
家の中にただよっていた。

今、
学校が休みで
昼間、こたつの中で
のらくらしている子どもたちを見ると
確かにイライラするから
わからないでもないけれど
それにしても異常だった。

暮れには必ず
両親の激しい夫婦ゲンカが
起こった。

その修羅場を乗り越えて
迎えたお正月は
打って変わって
明るいものだった。

まぁどちらにしても、
年末年始には
気持ちがハイになる質の
家族だったのだ。

たくさんの親戚が
集まって
飲んで食べて笑って踊って
そして家の者は
身を粉にして働いた。

まぁ、
あんな厳しい状況で
過ごした経験が
今の私を支えてくれていると
思う。

結婚して、
初めて過ごした主人の実家でのお正月が
静かで穏やかだったことに
本当に驚き、幸せを感じた私であった。

結婚後、
母が気楽に発した言葉が許せなくて
涙ながらに反抗したことがある。

それは
アンタは娘時代
何にもしなかった、という
言葉だった。

この母は
どれだけ手伝っても
足りない人なのだった。

どれだけやればこの人は
気が済んだのろう、と
怒りが爆発した。

両親は、
若い娘の暮れと正月を
平気で拘束した。

友達とスキー、
友達と初詣、などは
我が家ではご法度だった。

結婚式を2月に控えた
独身最後のお正月も、
しみじみするどころか
母と大げんかをやった。

1月15日の荷物出しに向けて
二階で荷物の整理をしていたら
台所を手伝え、と下から命令がかかった。

暮れにさんざんおせちを作っておいたのだから、
お正月はのんびり出来そうなものなのに
まだ台所でなんやかんやする、と言う。

しぶしぶ下へ降りていくと、
父が食卓にドカッと座り
鮭を焼いてくれ、と
偉そうな顔をしている。

何のためのお重や、と
私が文句を言うと
すでに気が立ってる母は
食事の準備をするのは
お正月も同じや、と言った。

そこで終わらなかったのは、
わがままな父を挟んで
暮れから働き詰めの母と私は
もうギリギリのところまで
来てたのだろう。

結局ケンカになり、
その後、
家族三人で行ったお墓参りでは
母と私の会話はなかった。

この気まずさは、
二月の結婚式の日まで
持ち越された。

腹立たしさと情けなさで
結婚式の前夜は
枕を涙で濡らしながら
寝た。

その後、
三度の出産の時の
両親と私の間に起こった
さまざまな出来事を通して、
まだ私がわずかに持っていた
親を頼る、という甘えは
きれいさっぱり消え去った。

この時
親、という存在が、
私を縛りつけて苦しめる
鬼のように思えた。

私はこの時に
いよいよ父と母を
超えようとしていたのだ、
と思う。

里帰りがどれだけ
苦痛だったか。

この思いを
どのように書けばいいのかわからない。

この両親は、
愛情がないわけでは、ない。

むしろ
ふんだんにあるのだ。

その愛情が
娘を縛りつけ、支配する形となって
表れる。

ひいては、それが
私の主人、そして主人の親、兄弟、親戚までに
向けられる。

この年になって
私は両親のことを
心から
世間知らずだと思う。

自分とかかわる人たちを
すべて
自分たちの物差しで測る。

その物差しとは、
自分たちに都合のよい物差しであり、
世間一般の人たちには
あまり当てはまらない
物差しなのだった。

・・・・

年末のことを書こうとしたのに、
いつのまにかグチになってしまった。

今、
両親のこの支配欲は、
年を取って
依頼心へと変わってきた。

まだ依頼心の方が
質がいい。

謙虚さが伴うから。

結局両親が
年老いて
実家をたたんで、
私の嫁いだ町に引っ越してきたのは、
私のことが好きだからなのだなぁ、と
つくづく思う。

あの日、
私が結婚の荷造りを
いそいそとしていた時、
両親から
台所へ引き戻されたのは、
私がいなくなることが寂しくて、
そうしたのかなぁ、と
今頃になって、
思ったりもする。

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