2016.02.24

人間関係体当たり

 私がもう10年以上、
人生の師、として仰いでいる人に、
もっと大きくなりなさい、と言われた。

会をまとめる時には、
個人にとらわれず、全体を見なさい。

レベルの低い人に合わせて、
同じ次元で怒っていては、ダメ。

いくら腹が立っても、
心を大きく持って、
顔には笑みさえたたえて、
だまされたフリをして、
相手を利用するのよ。

そう言われたけれど、
いくら考えても、
私には出来ない、と思った。

人生の師は、
私が正直な人間だと言うことは、知っていた。

だから、難しい、ということも。

だけど、そこを我慢して、
今こそ、一回り大きくならなくては、と励ました。

私は、
怒りを抑えて、笑うことは出来ない、
それをするくらいなら、もう、会をまとめる役割を降りたい、と
申し出た。

すると、
今まで築き上げてきたものを、棒に振ってはならない、と言われ、
又、逃げ場を失った。

じりじりと、苦しさがせまってきて、
それでは、私なりのやり方でやらせてもらいます、と
啖呵を切った。

業務以外では、
怒りの対象者には話しかけない。
笑いかけなど、決してしない。

私は許さない。
人を平気で傷をつけ、
仕事を軽んじ、
天狗になっている人を。

それなりの態度を取って、
それを察した人物には、真実を話そうではないか。

たとえそれが、本人であったとしても。

それが、私のやり方、生き方、人間関係の対処の仕方だ。

今までも、そうやって生きてきたんだ。

ウソやごまかしは大嫌いなんだ。

真っ正面からぶつかるんだ。

たとえそれで、何かを失ったとしても。

そう思っていたら、
何と、敵は、自滅するかのように
自ら退散した。

私が何かをする前に、
退散した。

そして、まるで、用意されていたかのように、
そこの穴を埋めてくれたのは、
私にとって、誰にも勝る助っ人、Kさんだった。

私が排除しなくても、敵は自ら去り、
私が引き寄せなくても、友が自然と寄り添う。

ああ、これが、
正直に生きることによって得られる
賜物なのではなかったか?

師は、
私は私のやり方がある、ということを
わかってくださっただろうか。

もし、私が、師の言うように、
偽りの笑みをたたえていたら
愚かな敵は、気づくことがなかっただろう。
自分が今、会に必要とされていない人間だということを。

人間関係体当たり。

邪念のない行為こそが、道を開く。

今は、そんな気持ちでいっぱいなのである。

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